リフォーム・リノベーション専門雑誌「プランドゥリフォーム」に掲載中のコラムのウェブ版です。
いまでは北海道の郷土食の代表格に出世した「ちゃんちゃん焼き」。サケ料理のなかで道民が頻繁に食べているとも思えない料理なのだが、農林水産省の郷土料理百選にも選ばれ、どういうわけか、北海道のメジャーな郷土料理ということになっている。
北海道の食はサケとは切っても切れない関係だけに、ちゃんちゃん焼きが郷土食であることを否定する気はない。しかし、わたしのような半世紀ほど生きている人間からすると、ちゃんちゃん焼きは、まだ郷土食というには時期尚早な気がしてならないのだ。
というのも、道東の漁師が漁場ではじめた料理としての歴史は長いのだろうけど、札幌五輪のころの、小樽でも札幌でも、ちゃんちゃん焼きなど、見たことも聞いたこともなく、全道的に見ればここ三十年で道内メジャーとなった料理にすぎないからだ。
わたしにとって、サケの郷土料理といえば、焼きザケと三平汁。塩分制限を受けているいまでは食べられないのだが、山漬けにされた「ちょっとしょっぱ過ぎるサケ」のハラスこそ、サケの旨さの神髄ではないか!と思うのだ。
焼いて塩が浮いた切り身をひとくち口にふくみ、ゆっくりと噛む。そして、ひたすらご飯をかき込む。若干焦げた皮にへばりついたゼラチン状の脂が、サケの旨味と塩分と混じりあって、ご飯が止まらない。「おいしい! おかわり!」
小学生のころ、我が家では、誰もがサケの切り身を食べるとき、背側から食べ、最後にハラスにたどりつくクセがあることに気がついた。まるで申し合わせたように。
一番美味しいところから食べたいところをぐっと我慢する。味の濃い物を先に食べると、薄味が物足りなくなることをみな知っているのだ。わたしはこの流儀(?)を誰に教えられるでもなく、あえていうなら、サケの切り身に教えられたのだ。
わたしは他のおかずと背側の肉でご飯を一膳食べる。そして、おかわりして、ハラスだけでもう一善食べるのが習慣になった。つまり塩ザケが食卓に上ったときは、いつもよりご飯を多く食べるのだ。
当時は保温機能のある炊飯ジャーなどない時代。亡き母はわたしがサケや筋子が食卓に上ったときはおかわりするのを見越して、ご飯を炊く量を決めていたのかと思うと、頭が下がる。母親というのは、そういうところもよく見ている有り難い存在。しかし、それに気づいたときは、もうこの世にいない。実にやるせないものだ。
塩ザケとは対照的に、子供のころは、それほど好きじゃなかったのに、大人になって「これぞ北海道の味!」と思うのが、三平汁である。
ストーブの上に載っているアルマイトの両手鍋。なかには、大根やニンジン、ネギなどとともに、サケの頭や中骨などのアラが入っている。子供のころは、なんとなく美味しそうに見えず、野菜ばかり入っていることもあり、「目の前にあるから食べる」というくらいの存在だった。なぜあれほど父が、三平汁を好むのかなど、まったく理解できなかったのだ。
それが大人になるにつれ、寒い時期に食べる三平汁に、故郷を感じ、母を感じ。しみじみ美味しいと思うようになっていく。もう一度、ストーブの上に、鍋を置いて、じっくりと三平汁ができるのを待ってみたい。
祖父や父が、できあがるまで、スルメをストーブであぶりながら、燗酒を飲んでいたように、わたしも燗酒を片手に、エイヒレでもかじりたい。
そう願っているのだが、石油ストーブすらない我が家ではいかんともし難いのである。
作家・エッセイストの千石涼太郎さんのエッセイ
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