リフォーム・リノベーション専門雑誌「プランドゥリフォーム」に掲載中のコラムのウェブ版です。
昭和四十年代。わたしが暮らしていた小樽郊外の町・銭函には、絶滅危惧種に指定されているニホンザリガニが棲息する小川があり、エゾトミヨが泳ぐ川や水路があり、エゾサンショウウオが繁殖する水たまりがあった。
友人と連れ立っては、くるぶしくらいまでしか水のない小川に入り、石をひっくり返してはザリガニを探し、獲物をバケツに入れていく。すべてを持ち帰るわけではなく、ほとんどは逃がしてしまうのだが、最後に戦利品の多さを見せ合うのが、わたしたちの楽しみのひとつだった。
トンギョと呼んでいたエゾトミヨは、見えていてもほとんど釣れることがなかった。どうしても捕まえたくて、最後は網で掬った。家の水槽に入れて飼おうとしては、酸欠ですぐに死んでしまった。幼い子供ゆえに、なぜ金魚のように生きていてくれないのかが、わからず仕舞いだった。
サンショウウオは螺旋状の卵を持ち帰り、孵化させたこともある。水槽のなかでおたまじゃくしのように泳ぎまわったあと、脚が生えてくる。カエルで経験しているので、脚が生えることはわかっていたことだが、想定外のことが起きる。わたしが学校に行っている間に、水槽から何十匹ものサンショウウオが脱走したのだ。
母は驚き、騒ぎ……。そして父が怒り、サンショウウオは水槽から、庭にあった池へと移動させられたのだった。数日間は何匹か棲息を確認できたが、猫かアオダイショウにやられたのか、脱走したのか、一匹もいなくなってしまった。
「せっかくとってきて、育てたのに!」と、泣いて怒ったけれど、さらに父の怒りを買うだけで、それ以来、なにも生き物を持って帰ることを許されなくなった。もちろん、そんなことを素直に聞く子供ではなく、陰でこそこそと、クワガタを飼ったりしていたけれど。
そんな父が仕入れてきた情報をもとに、ふたりで砂浜にエビを捕りに行ったことがある。直径六十センチくらいの半円型をした網の平らな部分を下にして、海底に沈め、砂に密着させるようにして、後ろに歩く。歩くことで、砂の中にいるエビが砂から飛び出す。その飛び出したエビがいる海底を網が動くことで、エビは網の中へと吸い込まれることになる。
子供の背では、顔を水面に入れるくらいの深さでないとエビは入らないのだが、それでも必死にエビを追った。数時間かけて、親子で三十匹くらい捕っただろうか。
子供のころ一番馴染みのあったエビといえば、甘エビ。次は乾燥した桜エビ。どちらも赤い。しかし、このエビは全体が白に近いグレー。いまだにどんな種類のエビだったのか解明できていないのだが、父はこのあまり美味しそうに見えないエビを生きたまま持ち帰り、水槽に入れたのだった。わたしにサンショウウオはダメでも、エビはいいのか? じゃあ逃げないなら、持って帰ってきてもいいんじゃないか! と思っ たが、余計なことをいうとタンコブが増えるだけなので黙っていた。
水槽に入れたエビ。これも当然のごとく、すぐに天に召された。生きていたのは小一時間。すぐに元気がなくなり、水槽からあげられ、そして油で揚げられ、父のビールの肴へとなったのだった。
なんとなく釈然としない気もするが、かりっと揚がったエビは、香ばしくてなかなかの味。このことをきっかけにかどうかわからないが、わたしは少年のころからすでに、「どうせ捕るなら、飼うものより、食べられるもののほうがいい」と思うようになったのであった。
作家・エッセイストの千石涼太郎さんのエッセイ
救急救命士で救急医療に従事したのち、カイロプラクティックを学び、開院した経緯をもつ院長が綴る健康コラム
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