リフォーム・リノベーション専門雑誌「プランドゥリフォーム」に掲載中のコラムのウェブ版です。
幼少期に住んでいた国道5線沿いの家は2DK。とても慎ましい職業訓練校の教員住宅だったが、敷地だけは広く、大きな物置と石炭小屋のほかに畑や池もあった。
勝手口の土間に風呂釜の焚き口があり、薪で焚くという当時でも古い構造。家のストーブは、当然のごとく石炭式だった。小学校に上がるころには、薪をナタで割ったり、石炭を運ぶ手伝いをするのは当たり前になっていた。たとえ子供であろうとも、我が家では外の仕事は男がやるのが当然であった。
薪に火をつけるのは、それなりに楽しい。台所で片づけをしている母の気配を感じることもでき、孤独感もない。だが、石炭小屋は暗くて怖い。おまけに冬は寒く、手も汚れる。
そんなわけで、ときどき「石炭小屋なんかなければいいのに」と思ったりもするのだが、世の中、よくできたもので、子供時代のわたしにとってこの石炭小屋は、とても有り難い存在でもあったのだ。
暮れも押し迫ってくると、庭は雪で覆われる。石炭小屋の屋根にも雪が積もり、一面は銀世界。小屋の屋根から地面までは約一メートル五十センチくらいだろうか。石炭小屋の側面に雪をどんどん積みかさねて傾斜をつくると、屋根から続くスロープになる。滑降斜面は5メートルくらいあっただろうか。大人なら面白くもなんともない距離に思えるが、ミニスキーを履いた子供には、これでも充分楽しめる小さなゲレンデのできあがり。近所に住む友人たちと何時間もあきずに滑ったものである。
ときは札幌五輪。日の丸飛行隊になったつもりで、ジャンプ台をつくり、ミニスキーでジャンプ。といっても一メートルも跳んだか跳ばないかだが。
ひとしきり遊んだあとは、ストーブで濡れた手袋や靴下を干し、長靴も新聞紙の上に置き、冷えた体を温める。そんなとき、わたしがよく食べたのが、干しいもだった。
ストーブであぶって少し熱くなると、干しいもがやわらかくなる。北海道弁でいうと、「やわくなる」のだ。
しかし、これがなかなか難しい。焼き過ぎるとストーブにべったりとくっついてしまい、「わや」になる。かといって温め足りない部分があるとかたいまま。なにかよい方法がないかと、考えてたどり着いたのが、煙突の下の部分に押し当てるという方法だった。
ストーブ本体ほど熱くはないし、表面もデコボコしていない。ナンを釜にはりつけるがごとく、干しいもを煙突にはりつけるようにして、少しずつずらしながら数十秒。均等に温まったところで、パクリ……である。この技をこっそり編み出したわたしは、鼻高々だったが、数週間後、煙突の下の部分の色が少々他と違うことに気付いた。いもが付着してしまったのではないか? 怒られる! わたしはそう思った。しかし、両親はそれを見て、怒るどころか笑っていた。 「干しいもはってたところだけ、煙突の汚れが落ちてきれいになったな」と。
幼いころから、親がコマイ(かんかい)を玄能でたたいたり、ストーブであぶって食べていたのを見ていたわたしは、玄能やストーブが汚いものだとはまったく考えていなかった。いまのように、なんでも抗菌、抗菌…というような時代でもなく、三秒ルールが生きていた時代。親から「干しいもはってたところだけ、煙突の汚れが落ちてきれいになったな」といわれたところで、気にすることはなかった。
しかし、春先になり煙突で干しいもを温めるのをやめることになる……。それは母が煙突で父の濡れたソックスを乾かしているのを見たからであった。
作家・エッセイストの千石涼太郎さんのエッセイ
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