リフォーム・リノベーション専門雑誌「プランドゥリフォーム」に掲載中のコラムのウェブ版です。
映画「探偵はBARにいる」のロケ地になった「あいはら」という石狩鍋の店に行ったことがある。映画では「右翼のアジト」という設定で使われていたのだが、実はこの店、石狩鍋発祥の店といわれる「金大亭」とともに有名な石狩鍋の老舗である。北海道の食文化、石狩鍋を守る関所のひとつといってもいいかもしれない。
近年、私たちは家庭で石狩鍋を作らなくなった。道外から訪れる観光客には、いまも「北海道の名物」として見られているのにもかかわらず、道民の食卓からは少しずつ遠のいている。なんとも寂しい限り。料理屋で食べるのもいいけれど、郷土食は家で「作って食べる」ことが重要である。
私が子供のころは、三平汁と同じように、よく食卓に上がった。「あいはら」や「金大亭」のような本格派の石狩鍋ではなかったけれど、秋から冬にかけては、石狩鍋が定番中の定番料理。熱い汁をすすって、身も心もあたたまった記憶がしっかりと残っている。サケの頭や中骨などのアラと豪快に切った身、キャベツやタマネギなどの野菜と、コンニャクや豆腐などを入れて昆布出汁で煮る。
煮込んだところで長ネギと味噌を入れて、バターを一切れ。お好みで七味を振りかける。これが我が家の石狩鍋なのだが、老舗の石狩鍋はバターを入れたりはせず、最後に粉山椒を振りかけて臭みを取ることになっている。
煮込んだところで長ネギと味噌を入れて、バターを一切れ。お好みで七味を振りかける。これが我が家の石狩鍋なのだが、老舗の石狩鍋はバターを入れたりはせず、最後に粉山椒を振りかけて臭みを取ることになっている。
「うなぎみたいだな?」と思いつつ試してみると、なるほど、これはなかなかいんでないの!?と納得である。とはいえ、慣れ親しんだ味がいいのか、私は「やっぱりバターと七味がいんでないか〜い?」という結論に達したのであった。
北海道の短い秋が終わると厳寒の冬。石狩鍋もいいがカジカ汁の季節だ。東京や茨城では、アンコウ鍋の季節だが、北海道はカジカ汁やゴッコ汁の季節。どちらもちょっと、いや、かなりユーモラスな外見をしているけれど実に味のいい魚。これを鍋でいただく有り難さ。「嗚呼、日本人に生まれてよかった!」と思う瞬間である。
なまらあずましい生活
しかも、北海道はカジカもゴッコもアンコウも豊富に捕れるのだ。こんな幸せはない。根雪に変わるころには、赤ちょうちんで鍋をつつき、家に帰って家族と鍋を囲む。これぞ「なまらあずましい生活」ではないか。
ゴッコのプルンプルンとした食感。「お前、ふざけてんのか?」といいたくなる面構えをしているのに、口に入れたら「う〜ん、これこれ!これが旨いんだよなあ」といわしめるゴッコ。身も旨いけれど汁を十倍美味しくするカジカ。「こういうの、東京の人も、喰い倒れの大阪人も知らないんでない?」と思うと、なおさら美味しく感じられるのである。(はい。そういう歪んだ性格なんです)
寒い時期、体を温めるのは、石狩鍋や三平汁、カジカ汁にゴッコ汁、そしてタラの白子=タチを使ったタチ汁やホッケ、コマイを使った味噌汁がある。それぞれの店に、それぞれの家庭に、それぞれの味があるのだ。私は日に日に寒くなると、ストーブの上にのせた鍋のなかに、サケやタラやカジカの身が浮いている光景を思い出す。味噌のいい香りが漂っていて、その向こうには母が使う包丁の音。
豊かな時代ではなかったけれど、そこには北海道の家庭にあるべき「食の世界」があったのだ。
いま同じような生活はできない。でも、旬の魚を使った北海道らしい鍋料理を楽しむことが充分に可能。石狩鍋でも三平汁でもない「千石鍋」の開発に取りかかり、歴史に名を残すのも悪くないと思う今日この頃です。
作家・エッセイストの千石涼太郎さんのエッセイ
救急救命士で救急医療に従事したのち、カイロプラクティックを学び、開院した経緯をもつ院長が綴る健康コラム
犬との暮らしを綴ったほのぼのコラム
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